広瀬すず【なつぞら】主人公なつの「戦災孤児」ってどんな様子だった?福沢諭吉とも関係する養護施設とは

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第100作目となる朝ドラ「なつぞら」

広瀬すず主演の今作は、戦争を機に両親を亡くし、兄妹とも別れ離れとなってしまった少女が主人公です。

そして時はまさに戦後。

身寄りのなくなった主人公・なつは、父親の戦友だった、北海道の酪農家の婿養子に引き取られ、牧場を手伝いながら高校を卒業し、漫画家を目指すというストーリー。

戦後から活躍した女性アニメーターのそのモデルは誰なのか?というところも話題です。

広瀬すず【なつぞら】主人公 なつ のモデルは宮崎駿・高畑勲の先輩の奥原玲子で、安田顕演じる「お菓子発明王」は坂本龍馬とも関係するマルセイバターサンドの六花亭?

そんな広瀬すず演じる主人公・なつは戦後に12万人いたとも言われる「戦災孤児」でもあるという設定で、ドラマでも少なからず描かれるかもしれません。

ここでは、戦災孤児というのはどんな様子だったのか?テレビでは取り上げられないような部分に注目してご紹介していきます。

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日本と海外の戦災孤児と人身売買

戦災孤児とはつまり「戦争によってそれまでの生活を奪われた若年層」のこと。

これは当然ながら、日本のみならず、世界中の戦争があった国で発生したであろう出来事です。

1919年、ポーランドがロシアから独立した頃、ポーランド人にとって「流刑地」として知られていたシベリアにいたユダヤ系ポーランド人の訴えを受けた日本政府が、日本赤十字社を中心に対策を行い、シベリアのポーランド人を、一時的に日本の受け入れ、その後祖国へ送り出したと言われています。

その時にポーランド人孤児もシベリアに送還されていたと言います。

そして、このような救済といえば宗教の出番というのがこれまでの常識ですが、アウシュビッツで「身代わり」となったカトリック聖職者で、仁川学院や聖母の騎士高等学校の創設とも関わりのあるマキシミリアノ・コルベやゼノ・ゼブロフスキー修道士らは、長崎で発生した戦災孤児の救済にあたったと言われています。

そして、戦後の日本人が行なった戦災孤児の受け入れで特に有名なのが谷口雅春で知られる「生長の家」でしょう。

終戦のひと月後の9月には、孤児の受け入れに動き出したと言われている生長の家は戦後、戦災孤児を花嫁学校に受け入れたことで知られています。

生長の家の「花嫁学校」は最近でも、広島県尾道市の「生長の家文化女子学園」、長崎市の「生長の家淑徳大学寮」、広島県府中市の「生長の家養心女子学園(生長の家養心女子学苑)」などがあり、生長の家養心女子学園は、生長の家本部直轄の学園で、その後、山梨県河口湖町に学舎が移転しています。

女性の髪型にまで厳しく躾けられ成長した女性は「大和撫子」へと成長しましたが、そんな「大和撫子」を家庭から引き出して「職場動員しなければならない」という風潮が世の中を席巻しているときにこれら「花嫁学校」が流行ったと言います。

つまり今で言う「女性の社会進出」と言う側面もあったようです。

この生長の家の花嫁学校の教育は、日清紡など、当時の工場での生産向上などに大きく寄与していたそうです。

〜以下こちらから引用〜

工場への積極的な進出ぶりは特に注目しなければならない。中小経営のばあいが多いが「ふしぎに能率があがり、病気欠勤が減り、消耗品やオシャカが減り、工員が移動しない」などの効能があげられる。

東京の日清紡では各室に『生長の家』誌を備えて効果をあげたという。その効果とは何を意味するか。

「非常時に労働争議を停止せしめ、反戦思想を抑圧」するのに「最も効果のあるのは光明思想である」(『生長の家』一九三七・一〇、巻頭)。

〜引用終わり〜

弱冠33歳で商業学校「箕島商業学校(現和 歌山県立箕島高等学校)」の校長になった立仙淳三も、生長の家の花嫁学校 「家庭光明寮」の主事だったこともあり、

生長の家のマークの図案者である、山根よしの(山根八春の妹)もまた、「家庭光明寮」で刺繍科の教師だったとも言われています。

そんな生長の家「神の国寮」の大まかな設立の経緯や、その暮らしぶりが描かれている文章をご紹介します。

〜以下こちらから引用〜

生長の家・神の国寮 【生長の家の養護施設】

宗教法人生長の家は、昭和二十一年一月、生長の家社会事業団(財団法人)の認可をうけて、戦災孤児や家出児童を養育するために、港区赤坂檜町(現 赤坂九丁目六番)に「生長の家・神の国寮」を開設した。

ここには戦前から生長の家の本部があり、その二階建ての建物を利用した。昭和二十三年には児童福祉法の認可を得て正規の養護施設となった。児童福祉法以後は、児童相談所からの措置児がほとんどであるが、それ以前は町で見つけた浮浪児、親に虐待をうけていたのを、見兼ねて連れてきた子ども、親が結核のために面倒がみられずに簞笥に紐で結びつけられていた双子の乳児などが保護された。

保母さんの一張羅(いっちょうら)の衣服を売ったり、収容児のために支給された乏しい衣料を包みごと持って寮を逃げ出す子どももいた。食糧を確保することも施設職員の重要な仕事で、買出しに千葉や埼玉の農村にまでリュックを背負い、大きい子どもたちを連れて出向くこともしばしばであった。

また、周辺の土地に麦や甘藷を植えて補ったこともあった。昭和二十五年ごろからララ物資が支給されるようになって、食糧事情はだいぶ好転した。 生長の家・神の国寮の建物は戦前のもので古く、児童福祉法の最低基準を満たせないため、その対策が必要であったが、昭和四十一年に東京都国立市富士見台に鉄筋コンクリート建て三一六七平方メートル(九五八坪)余の施設が完成し移転した。同時に生長の家本部も渋谷区原宿に移転し、現在赤坂の跡地は生長の家印刷部となっている。

収容児童数は、創設以来定員五〇名、昭和三十年代に入って、戦災孤児はほとんど姿を消し、親の家出や離婚・不和など崩壊家庭の子どもがふえている。

〜引用終わり〜

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京都宇治市の心理カウンセラーで、生長の家本部講師補である大熊良樹(一般社団法人「いのちを守る親の会」理事長)は、マザーテレサの日本版と言われる「赤ちゃんを救う施設」を設立し、 年間100人のペースで赤ちゃんを救っていると言われています。

しかし、その正反対となるような事件も起きているようです。

調べている中で、この国立市の生長の家・神の国寮での「施設内での虐待」と言う信じられないような話も見つけてしまいました。

本当にこんなことはあってはいけないことですが、戦災孤児は、かつては人身売買の対象だったと言うことも事実だったようです。

1947年(昭和22年)に労働基準法ができてから、十五歳未満は労働できないとなりましたが、法律とは裏腹に、街中には靴磨きなどの少年たちの労働者が多く発生していました。

白黒の映像でその様子を見たことがある方も多いはずです。

さらに、1948年には「人身売買」が社会問題化し、風俗関係への仕事斡旋が多発していたことから、1956年に売春防止法が成立しましたが、その間、未成年が貧困などを理由に、農家で働かされたり、ブラックな夜の仕事にも売り渡されたそうです。

ジャニーズと戦災孤児と専修大学

戦災孤児といえば、かつては、野球を教えた子供達のことでありながら、現在では、日本の芸能界を席巻する一大グループへと成長した「ジャニーズ」もまた、その初期の頃に戦災孤児と関わりを持っていました。

アメリカで家政婦(ハウスキーパー)として働いていた経験を持ち、アメリカ国籍で徴兵されたことのあるジャニー喜多川社長は、徴兵の仕事の中で朝鮮語をわずか10ヶ月でマスターして、韓国の板門店に出向いて、1年2ヶ月間に渡って戦災孤児の子供たちに英語を教えたといいます。

板門店といえば、北朝鮮と韓国の境界にあり、2018年にムンジェイン大統領と金正恩の両首脳による「板門店宣言(はんもんてんせんげん)」が行われた場所でもありました。

「玉音放送」のあった1945年8月に第二次世界大戦が終わってふた月後の10月から「刈り込み」が行われました。

戦後のどさくさで盗みを働く浮浪児たちを強制的に捕まえることを「刈り込み」と言いますが、その中の行き場のない子供たちを一時的に受け入れたのが、国が創設した「養育院」というものでした。

そこは現代の「鑑別所」のような場所で、逃亡防止のために鉄格子などがあった収容施設でしたが、その養育院の他には、目黒厚生寮、厚生会館、浅草本願寺、深川寮が、戦後に行き場をなくした子供たちを受け入れたといます。

その後、戦災孤児収容施設として、生長の家の神の国寮などが創設されていきました。

その中の一つに「東光寮(とうこうりょう)」があります。

東京都府中市にあった戦災孤児収容施設で、現在は東京都東久留米市の小山児童学園(旧:大円寺寮)に統合されているものです。 

赤松女学校の錬成道場の一部としてその敷地内に建てられた東光寮ですが、この赤松女学校は現在の東京都立府中高等学校に統合された学校で、この府中高校は私立専修商業学校の農地に建てられた学校で、これは現在の専修大学につながるようです。

府中高校出身の著名人といえば、TDK社長の石黒成直や、高田純次、布施明などがいますが「専修大学」といえば、アメリカで結成された「日本法律会社」まで遡ることができ、かつての日本の「五大法律学校」として知られています。

「日本法律会社」を設立した相馬永胤、田尻稲次郎、目賀田種太郎、駒井重格らと、福沢諭吉や岡倉天心などが専修大学の創立に関わっていることでも知られています。

つまり、東光寮は、福沢諭吉と遠からず関係があると言えそうです。政財界に大きな影響を持っていた福沢諭吉ですから、どんなところにつながっていてもおかしくはありませんね。

そんな戦災孤児が記念すべき100作目の朝ドラ「なつぞら」ではどのように描かれるのか、このような背景があったということを念頭に本放送をじっくり楽しんでみてはいかがでしょうか。

参考サイト一覧

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