広瀬すず【なつぞら】安田顕と草刈民夫のモデル 菓子屋「雪月」と「柴田牧場」開拓者の実話をリサーチ

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2019年4月から放送の朝ドラ【なつぞら】

主演はセブンティーンモデル出身で若手演技派女優として人気の広瀬すず。

戦争で両親を亡くし、のちにアニメーターとして大成する女性を演じます。

ここでは、広瀬すず主演朝ドラ【なつぞら】に登場するお菓子屋「雪月」のモデルだと考えられる二つのお菓子屋さんと、なつが暮らすことになる「柴田牧場」のモデルとなった人物と会社などを紹介しています。

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「お菓子屋 雪月」のモデルはマルセイバターサンドの「六花亭」

ドラマ「下町ロケット」などへの出演で知られる安田顕が朝ドラ「なつぞら」で演じるは、小畑雪之助。そのキャラクター設定は以下のようになっています。

十勝・帯広のお菓子発明王。帯広に父の代から和菓子屋を構える。砂糖が統制品となる中、ビート(砂糖大根)を使ったアイデア商品をつくり、戦後の混乱を乗り切る。のちに泰樹のバターや牛乳を生かした創作菓子を開発、北海道有数の製菓メーカーへと発展させる。

この小畑雪之助のモデルの一人は、のちに「マルセイバターサンド」の大ヒットで知られる「六花亭」の創業者、小田豊四郎の可能性があります。

小田豊四郎は、札幌のお菓子屋「千秋庵」に養子として入り、帯広支店を切り盛りしていました。

1945年の「第二次世界大戦」のときに、豊四郎が徴兵され店は閉店。家族も疎開し、さらに、お店は陸軍の親睦組織「偕成社」の売店として利用されていたために、商売はしていなかったそうです。

そして、戦後に帰還兵として復帰した豊四郎が再び「千秋庵」で働き始め、店を大きくしていき、のちに、「六花亭」と店名を変えます。

〜以下こちらから引用〜

1946年(昭和21年) 小田豊四郎が帰還すると店(当時は「札幌千秋庵帯広支店」)の運営を再開し、戦後に「カボチャ饅頭」などの製造を開始。
1952年(昭和27年)帯広市からの依頼によって『帯広開基70周年記念式典』用の最中「ひとつ鍋」を開発し、初のオリジナルヒット商品となった。次第に酪農を生かした洋菓子を開発するように。
1963年(昭和38年)マドレーヌの「大平原」が誕生。
1967年(昭和42年)小田豊四郎がヨーロッパへ視察研修。帰国後の翌年からチョコレートの製造。日本国内初となる「ホワイトチョコレート」が誕生。通称「カニ族」と呼ばれた若者達などから口コミで全国的ヒット。商圏を札幌圏など北海道内に拡大して展開しようとするが、すでに「千秋庵製菓」(札幌千秋庵)などが店舗を構えていることなどから活動は狭められた。
1977年(昭和52年)「千秋庵」の暖簾を返上し、「六花亭製菓」と改名。改名記念で発売したのが「マルセイバターサンド」であり、これが大ヒット。

〜引用終わり〜

そんな六花亭が戦前に大きな決断をしたことが、のちの発展につながったと言われています。

六花亭が老舗となった理由「甜菜糖」

ドラマの設定でも「ビート=甜菜」を利用したお菓子でアイデア商品を作り、事業を広げていったとなっており、これは実際豊四郎もやっていたことでした。

1939年に砂糖を大量購入していた「六花亭」。その当時はライバルお菓子会社もいっぱいあったそうですが、他の会社は「価格等統制令」により、砂糖が不足していたために「六花亭」はライバルひしめく激し競争で、優位に立つことになりました。

その後、1953年(昭和28年)からビート糖を日本政府が買入れる10年間の限定の法律「甜菜生産振興臨時措置法」が施行し、北海道では甜菜糖を主要物産として大量生産していくことになりました。

政府が動く前に、砂糖を手に入れたことで、ライバルたちの一歩先を行くことになった「六花亭」。まさに先見の明ですね。

その後、法的に産業が発展する根拠を得た「ビート糖業」は、製紙業、セメント業界とともに「三白景気」となり戦後復興期を支えました。

〜以下こちらから引用〜

亜麻に続く工芸作物として奨励されたのは「甜菜(ビート)」であった。十勝では、明治22年(1889)晩成社による試作が実施されていた。

ビート糖業は北海道内では14年(1881)紋鼈(伊達市)、続いて札幌と操業されたが失敗に終っていた。大正期に入って糖業が再開された直接の原因は、大戦による供給不足からの糖価高騰であった。

末端価格である帯広小売でも、5年間に6倍の値上がりであった。

〜引用終わり〜

この「晩成社」が、「六花亭」にバターを仕入れいた会社ですが、その前に、「六花亭」のライバル会社でもあり、「雪月」の名前に似ているもう一つのお菓子会社「柳月(りゅうげつ)」についてご紹介します。

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「雪月」のもう一つのモデルは「柳月(りゅうげつ)」

「三方六」という、白樺をイメージしたバームクーヘンなどで知られる「柳月」。六花亭と同じく、帯広周辺を拠点として、二大製菓店と言われるほどの人気店です。

その始まりはアイスキャンディーの行商だったと言います。

当時は、帯広の緑ヶ丘に天然の氷の採取地があり、当時は起業する人たちの中でリスクの少ないアイスキャンディー販売から始める人も多かったそう。

〜以下こちらから引用〜

1947年 田村英也(田村昇代表取締役社長の父)がアイスクリーム製造販売業として創業(帯広)
1953年 有限会社柳月創立
1981年 柳月製菓株式会社へ組織変更
1995年 株式会社柳月設立
2001年 柳月スイートピア・ガーデン完成(音更)
2006年 株式会社柳月ホールディングス設立
2007年 柳月製菓株式会社と株式会社柳月ホールディングス合併
2008年 柳月スイートピア・ガーデン工場が北海道HACCPに認証
2015年 一般財団法人柳月財団設立

〜引用終わり〜

ちなみに、日本で初めて製氷会社を立ち上げたのが、広島県生まれの西川虎之助と言われています。

〜以下こちらから引用〜

明治政府の殖産事業の民間移譲の方針に基づいて印刷局を去り、1889年(明治22年)に東京青山で製氷所を創設して日本初の製氷事業を立ち上げ、1892年(明治25年)には大阪府西成郡川北村の大阪硫曹株式会社の技師長兼工務支配人となり、1901年(明治34年)には工学博士の学位を得る。

その後大阪アルカリや大日本人造肥料などに勤務し、技師長・重役を歴任した

〜引用終わり〜

虎之助が東京の青山で設立したのが日本初の氷会社「青山製氷会社」でしたが、その設立にはかの渋沢栄一が関わっていました。出典:arts便り

そんな「柳月」のバームクーヘンの始まりはというと、ドイツカウプ出身のカール・ユーハイムと言われています。

彼は、中国の「青島」で、捕虜として日本軍に連れてこられ人物で、彼がのちの広島の原爆ドーム(広島県物産陳列館)で開催された「ドイツ作品展示会」で初めてバームクーヘンを提供したと言われています。

〜以下こちらから引用〜

1919年3月4日、広島県が似島検疫所のドイツ人捕虜が作った作品の展示即売会を開催することになり、ユーハイムはバウムクーヘンなどの菓子を作ることになった。

ユーハイムは材料集め(バウムクーヘンを焼くには堅い樫の薪などを必要とした)に難航したものの、バウムクーヘンを焼くことに成功、広島県物産陳列館(現在の原爆ドーム)にて開催された「ドイツ作品展示会」で製造販売を行う。このバウムクーヘンが、日本で初めて作られたバウムクーヘンとなる。

この時ユーハイムは菓子の味を日本人向けにアレンジ(ユーハイムは青島市が日本軍に占領された際の経験から、バターを多く使用した菓子が日本人に受け入れられないことを知っていた)することにも成功し、ユーハイムの作った菓子は好調な売れ行きをみせた

〜引用終わり〜

1919年に焼かれたバームクーヘンのこの製法がのちに「柳月」伝わったのかは定かではありませんが、「柳月」は、創業後にドイツやフランスから職人を呼び指導を受け、本場の味を勉強していたようなので、どこかで外国人とも繋がりを持っていたようです。

安田顕演じる「小畑雪之助」は、名前を見ると「六花亭」の小田豊四郎、店の名前を見ると「柳月」に似ていると言えます。

あとは、その主力商品が、バターサンドなのか?バームクーヘンなのか?気になるところです。

柴田牧場モデル「晩成社・依田牧場」

続いては、作中で主人公・なつ(広瀬すず)が引き取られることになった北海道の酪農「柴田牧場」のモデルについてです。

この柴田家の柴田泰樹(草刈正雄)が開拓民一世という設定で、この泰樹のモデルが、十勝を開拓したと言われる依田勉三という人物であろうと思われ、以下の記事でも触れてきました。

広瀬すず【なつぞら】柴田泰樹と剛男のモデルとは?開拓移民一世のフロンティア精神の土台はキリスト教と二宮金次郎

その依田勉三は北海道開拓団「晩成社」を故郷・静岡で結成し、自らの親族に加え、渡辺勝と鈴木銃太郎という「晩成社」の幹部たちとともに移住しました。

渡辺勝と鈴木銃太郎が、依田勉三と知り合ったのは、プロテスタント系の宣教師、ヒュー・ワデルの開いた「ワデル塾」だったと言われており、全員がクリスチャンとしての素養を身につけていました。もちろんそれまでの日本の風習から、神道や仏教なども身につけていましたはずです。

そして、晩成社の幹部には尾張藩(名古屋)の槍術指南役の長男だった、渡辺勝、そして、「真田丸」で知られる真田一族の本拠地でもある信州上田が出身だったのが鈴木銃太郎。

そして、依田家もまた、元々は信濃国小県郡(長野県青木村。上田市に隣接)がルーツだそうですが、この時の勉三たち依田家は、静岡県松崎町に住んでいました。

ワッデルの来日が1974年、鈴木銃太郎が1975年に「ワッデル塾」、1876年に渡辺勝が入塾し、勉三と出会いました。

彼らを北海道開拓に駆り立てたのは、坂本龍馬が立案し西郷隆盛、そして、北海道開拓を指揮した黒田清隆が実現に向けて動いた「蝦夷地開発計画」を知ったことが一つの動機でした。

北方から攻めてくるロシア軍から日本を守るためには、北海道を開拓して、北の「守備」を固めなければならない。そして、自己犠牲を是とするキリスト教や、社会貢献を尊ぶ「二宮金次郎」のおしえ「経世済民」などの影響、さらに、御雇外国人として影響力を持ったホーレス・ケプロンの報告書がありました。

〜以下こちらから引用〜

勉三はこの年1月1日土地開墾、開拓、耕作、牧畜、造林を目的として静岡・天城で「晩成社」を設立登記し、13戸27人で「オベリベリ」と称する現在の帯広近郊の十勝原野に入植した。

今でいう構想の大きなベンチャー起業家ではなかったろうか。北海道開拓への野心は、当時辺境でほとんど耕作地のなかった天城山麓を中心に、伊豆、駿河、相模、などを開拓し、「開拓済民」を天職とした二宮尊徳翁に傾倒したようであるが、同じ志の仲間に当初は電信技師をめざして工部大学に入り、その後勉三とワッテル英語塾で知り合った渡辺勝も明治政府の開拓使顧問で元アメリカ農務局長の「ケプロン」報告書を読み、開拓に志した。

〜引用終わり〜

こうして1883年(明治16年)に下帯広村(オベリベリ)に入植し、開拓がスタート、様々な苦難を経て、ドラマでなつがやって来る戦後には、彼ら「晩成社」の役目は終わり、ほとんど全てを国が引き取っていったと言われています。

ここで北海道にどんな人が住んでいて、江戸幕府はどんな風にそれに関与していのか?について書いていきます。

鎌倉幕府成立のち、津軽地方を支配したのが安東氏(安藤)で、日本海貿易で栄え、その拠点が国際的な貿易港「十三湊(とさみなと)」されていました。

ここは、高麗(朝鮮半島)の船も訪れる北の玄関口で、小浜市、敦賀、中国は豆満江やロシア・ソ連領のオリガなどと貿易をしており、まさに「東北の貿易拠点」。

江戸時代からアイヌを商売相手として物品の取引をしていた松前藩は、次第に、アイヌをただの「労働者」として支配下に置き、江戸時代以前に「流刑地」として利用されていた北海道に送られてきた者たちとともに、松前藩のために働かせていたようです。

現在の北海道を見ればわかるように、豊かな自然のなかに、当時は金や鉱物などおそらく想像を絶する貴重な資源が多くあったようですが、街としての整備はなされていなかったようなので、依田勉三たちを含め、幕末から明治期に北海道へ渡った数々の開拓団は、土地を整備するところから始める必要がありました。

そして、そんな開拓団がひと段落した戦後。

全国的に様々なものが安く手に入る「闇市」が生活に密接に絡んでいた日本の戦後ですが、帯広でも「闇市=マーケット」が流行っていたようで、これもまた、牧場やお菓子業界にも追い風となったのかもしれません。

〜以下こちらから引用〜

敗戦直後の食糧危機は、農業生産力の低下、輸入食糧の途絶に原因があった。さらに軍隊からの復員者、海外からの引揚者合わせて、1355万人の消費増も困窮に拍車をかけたのであった。完全失業率18%という最悪下での小売業の再出発は、帯広駅前と大通駅(十勝鉄道)前に、地べたにゴザを敷き、戸板に代用食、古着を並べた露店からであった。物資不足、商店再開の遅れから、過渡的代替施設として、市役所、警察が出店を認めたのであった。

21年(1946)道路中央で背中を合わせるバラック店舗「新興マーケット」が8丁目線(夜店通)で開業した。入店者はこの地に既得権を持った玄人露店商と、「帯広市戦災者連盟」所属の戦災者、樺太引揚者であった。統制解除品の野菜、魚に統制品を含めたヤミ市であった。入手経路を明らかにできない”何でもあり”がここの市の魅力で、敗戦服(軍服)やモンペを売る向かい側の旧店と相俟って街一番の集客であった。 翌22年(1947)マーケット・ブームが起った。1番目は満州、蒙古引揚者による「満蒙マーケット(満蒙第1相互会館)」で、帯広駅西側での開店であった。

そして後年、これを地上3階地下1階の「はとやデパート」にまで発展させた。若干遅れて、満州引揚者による「丸満マーケット(丸満連鎖店商業会)」が、西1条南9丁目に開店し、さらに5丁目線道路立地の「電信通マーケット」が続いた。 日本罐詰工場 日本罐詰工場 32年(1957)の川西・大正両村との合併により、帯広市の住民登録人口は、約9万5400人となった。新人口には、自衛隊第5管区総監部(第5師団)約3800人が含まれた。以後、帯広市は伊丹市(兵庫県)や宇治市(京都府)と並び、自衛隊効果が見込まれる”街”となった。

〜引用終わり〜

広瀬すず演じるなつを、当初認めない態度をとるのが、草刈正雄演じる「柴田泰樹」ですが、この泰樹は、このような戦前と戦中をくぐり抜けてきたまさに開拓者。

その精神が、なつのアニメにも、大きく影響を与えるというストーリーもあり、その結末が早くも気になりますね。

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