スタンリーキューブリック遺作裏話や映画「A.I.」制作の経緯。ドキュメンタリー「A Life in the picture」考察

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ここでは、スタンリー・キューブリック(Stanley Kubrick)のDVDBOXセットに収録されているドキュメンタリー作品「A Life in the picture」の内容のネタバレとともに、数々のトピックを解説・考察しています。

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まずはじめに、驚いたのは、彼が幼少期の時の映像が残っていると言うことでした。

幼少期のスタンリーと妹の姿が映っているのは、開業医の父が撮ったものと思われますが、どのくらい珍しいものか見当もつきません。

とにかく、ホームビデオの映像を見る限り、当時カメラを持っている家ということだけでも相当な裕福な家庭であったことでしょう。

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ハリウッド撮影所の「スタジオシステム」とテレビの台頭による映画界の変化。

キューブリックが映画製作をしていた年代を考えると、その映画の特徴も少なからずわかるものです。

特徴的なのが、「ハリウッドのスタジオシステムが終わった」と話していたところでした。

トーマス・エジソンが最初に作ったとされる「映画スタジオ」は、「エジソン・ブラック・マライア撮影所」という名前で、サーカスやボードビルの芸人の他、演劇の俳優にカメラの前で演じさせそれを、ボードビル劇場・娯楽場・ろう人形館・市などで上映していた物が始まりのようです。

そして、当時、映画関連の特許のほぼ全部を所有していたエジソンの「モーション・ピクチャー・パテンツ・カンパニー」社(MPPC=別名:エジソントラスト)から逃れるために、西海岸にいった映画関係者がハリウッドの基礎を築いたと言います。

「エジソントラスト」は、ヨーロッパ映画がアメリカ映画市場を独占していた状況を解決した会社でもありました。

「エジソントラスト」には、ジョルジュ・メリエスやパテ兄弟の他に、ジョージ・クラインやイーストマン・コダックもいました。

その後「エジソントラスト」は、独占禁止法のような「シャーマン法」により違法とされて力を失っていき、「エジソントラスト」の束縛から逃れることのできたアメリカの映画産業は、急激に成長を始め、ハリウッドは世界最大の映画産業集積地となりました。

その、「スタジオ(撮影所)システム」とは、「手早く安上がりな大量生産にターゲットを絞ったもの」で、車の大量生産システムで知られる「フォード・モデルT」の流れ作業にも例えられるものでした。

その中でもコスパが良かったのが、西部劇やメロドラマ、ミステリーなどの人気のあったジャンルで、1920年代から1950年代初期にかけての、アメリカの映画産業は、「ビッグ5」と呼ばれた

  • メトロ・ゴールドウィン・メイヤー(1924年創業)
  • パラマウント(1916年創業、PARAMOUNT)
  • 20世紀フォックス(1935年創業、20TH CENTURY-FOX)
  • ワーナー・ブラザース(1923年創業、WARNER BROS.)
  • RKO(1928年創業)

の5大メジャー映画会社と、「リトル3」と呼ばれた

  • コロンビア(1924年創業、COLUMBIA)
  • ユニバーサル(1912年創業、UNIVERSAL)
  • ユナイテッド・アーティスツ(1919年創業、UNITED ARTISTS)

の3社を含めることもあります。

巨大なサウンド・ステージ(防音設備を施した大型の建造物)やバック・ロット(屋外撮影用の敷地)を有する大規模な敷地をもった複合施設の他に、管理部門や録音部門、音楽部門などを備えた事務所のビルディングや大道具を建設するための膨大な敷地を有していました。

これらの映画製作方法は、とにかく膨大な資金がかかるので、資本家やウォール街によってスタジオがコントロールされる傾向が大きいことが特徴で、1948年に劇場チェーンを映画会社本体からきりはなすように判決が出た「パラマウント判決」により、「エジソントラスト」の独占の終了しました。

そして、若い頃のキューブリックらが映画を製作していた頃は、家庭へのテレビの普及により、これまでとは違った製作方法となり、そのことが逆に、素晴らしい映画が明確になるような時代になったとも言えます。

映画「フルメタルジャケット」は全て事実

「フルメタルジャケット」の場面でその物語が、ほとんど実際に現実で行われいたことだと言うことも特筆すべきことでした。

映画では、鬼教官というか、異常な教官が、兵士たちを追い詰め、その中で、錯乱した兵士が自殺するというシーンが描かれますが、これは実際にも第二次大戦の当時の将軍は精神異常者だったというのです。

日本で「鬼畜ルメイ」「皆殺しのルメイ」と渾名され、東京大空襲を指揮や広島空襲を含む焦土作戦を指揮し、京都を避けて広島を選択したカーティス・ルメイ将軍の他に、おなじく、東京大空襲、広島と長崎の原爆投下に関わったトミー・パワー将軍なども、実際に精神異常たっだとドキュメンタリーの中で証言されています。

キューブリックが造った「宇宙」と再現された宇宙船内の撮影方法。映画「2001年 宇宙の旅」

当時NY大学の学生で 「周りにいたイエズス会系の友人も気にいっていた」(スコセッシ談)と言うことも、以外にも感じましたが、「2001年 宇宙の旅」の製作裏話の場面で知ったのは、1968年公開されたこの映画の撮影当時「宇宙から見た地球を誰も見たことがなかった」と原作者でもある、アーサー・C・クラークが話していたことです。

のちに、地球は青かったと言ったガガーリンが帰還した時に、「ガガーリンが言ったとおりだ!」と喜んだのが目に浮かびます。

そんな状況の中、キューブリックは、明確なビジョンを持ってあの宇宙船が宇宙空間を漂うシークエンスシーンを撮影したとのことです。

スタジオに宇宙船の模型を作り、照明の当て方など、全てキューブリックのコントロールで行われいたと言います。

そして、「2001年」で特撮(Visual effects designer)に関わっていたのが、「未知との遭遇」「スタートレック」「ブレードランナー」などにも参加し、映画関係者からの評価の高い、ダグ・トランブル(Goug Trumbull)でした。

「オズの魔法使」で特撮を担当したいた人物を父に持つ、ダグ・トランブルですが、「2001年」の星の門(スター・ゲート)のシークエンスでは、革命的な撮影技術スリット・スキャンと言う手法を編み出したことを話していました。

知人の実験映像作家がカメラの前でシャッターを開いたまま、その前にものを通過させると言う実験をヒントに、ストリーク・エクスポージャー(Streak exposure)、のちに、「スターゲイト」と言われる

「映画で時空間を移動するときの、筋,線,縞しまなどが流れていくシーン」

を作り出したといいます。

これがなければ、宇宙ものの映画の大半がなかったとも言えるほど、画期的発明と言えるのではないでしょうか。

そして「2001年」は「宇宙との創造的遭遇」が評価されてカトリック教会から表彰されました。映像では、「ナショナルカソリックアウォード 1968年(National Catholic Awards)」の Best Film of Educational Value と言う文字が見られました。

「教育的に最も価値のある映画」と言う側面が評価されたそうです。

さらに衝撃的だったのが、「2001年 宇宙の旅」の宇宙船内のシーンの撮影方法でした。

観覧車のような巨大なセットを作りその中で俳優が動き、撮影され、そのほかのシーンも全てのものが回転している状態だったと言います。

船員役で出演した俳優キア・デュリアが階段から降りるシーンは、共演のゲイリー・ロックウェルが椅子に座って食事をしていますが、実は、椅子ごと見えないベルトで固定されているらしです。

観覧車のてっぺんに行った時に下向きにされている状態・・・。

そうやって撮影されていたとは驚きでした。

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無駄のない生産システムのキューブリックチーム。映画「時計仕掛けのオレンジ」「バリーリンドン」

1971年に公開された「時計仕掛けのオレンジ」については、徹底的に「悪党が生まれた背景を分析した」と言うキューブリック。

さらに面白かったのは、キューブリックの撮影現場はスタッフが少なく、無駄のないことが評価され、契約を結んでいたワーナーから特別待遇されていたと言うことでした。

社会問題となり、バッシングがこれまで以上に強烈だった「時計仕掛けのオレンジ」がキューブリックの申し出で上映中止になり、

当時(今もかもしれませんが)は「いち」監督が、スポンサーに意見をいうことすらあり得ないような風潮の中、唯一、キューブリックの申し出は受け入れられて、一度公開したらほぼ、上映中止ということはあり得ない映画産業の中で、例外的に「時計仕掛けのオレンジ」の上映中止が許可されたのでした。

その次に「バリーリンドン」での有名な話ですが、ろうそうの火だけという照明でも撮影を可能としたBNCカメラの話。

これは、「ブリンプト・ニュースリール・カメラ(Blimped Newsreel Camera)」の略で防音装置が付属していることが特徴で、当時のハリウッド映画のスタンダード機だったそうです。

以下の写真は「博士の異常な愛情」を撮影していたときのBNCカメラとキューブリックがです。

drs1[出典]

ドキュメンタリーではこのBNCカメラは、背景撮影用だと言っており、ゴッチョークが「値段がつけられないほどの良質なカメラ」だと言っていた貴重なものだったようです。

それに、ツァイス社が作ったF0.7 と言うとても明るいレンズを改造して取り付け「バリーリンドン」の撮影に使われたと言います。

このレンズの元々の使用目的は、1968年12月21日出発のアポロ8号による月探査のためでしたが、このレンズがあることで、「バリーリンドン」のロウソクのだけのシーンでも撮影が可能となり、これまでに見たことのないような、照明の表現を映画で見ることができます。

何よりも印象的だったのは、キューブリックが「形になって初めて求めていたものがわかる」と、創造する事の要点をわかっていたと言う事でした。

「意見を求め受け入れるが、完璧に到達しないもには決してOKを出さない」と言う彼の姿勢が、あるものからは「厳しく怖い監督」と言う印象を持たれ、その話が、「キューブリックは無口で愛想のない人だ」と流布されキューブリックのイメージとなってますが、彼がごくごく一般的な父親で、交友関係も広く、ペットを溺愛するような人だったとドキュメンタリーでも度々言及されます。

映画「アイズワイドシャット」と映画「A.I.」の裏話

こちらも有名な話かもれませんが、映画「A.I.」の裏話。

元々は、キューブリックが製作を考え、どうも感性に合わないので、スピルバーグに話を持ちかけました。

しかし、最終的には特殊効果が多いためCG技術の発展をもう少し待ことにしたりと、テクノロジー的な理由から製作を延期すると言うことになった作品で、その直後に「アイズワイドシャット」を製作することになったそうです。

映画「A.I.」はキューブリックの死後、キューブリックの遺族の強い希望でスピルバーグが製作を引き継ぎ、監督だけでなく自ら脚本を執筆して公開となりました。

エンドクレジットの最後で「キューブリックのために」と明示されているのはこの経緯があったからなのでした。

そして、「アイズワイドシャット」の劇伴音楽を作ったジェルジ・リゲティは、「1950年ころにスターリンにナイフを指す気持ちで作った」と言っていました。

それほどまでに怨念がこもっているからこそ、その不気味さが表現できると言う事のなのでしょう。

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スタンリーキューブリックドキュメンタリー「A Life in the picture」考察まとめ

ウディアレンが「H.G.ウェルズとスタンリー・キューブリックが真のアーティスト」だと言うほどに、映画関係者の間では、非常に評価のたかいキューブリックですが、映画を発表するたびにマスコミには酷評と絶賛の賛否両論、あらぬ噂をたてられ、庭に入ってきた旅行者を銃で撃ったなどと言う嘘まで言い広められるキューブリック。

本人も、「まだ皆を煙に巻いてる」と自分の実像と、世間の「キューブリック像」との乖離をギャグにしてやり過ごすことしかできなかったようでした。

しかし、キューブリックの映像はどこまでもこだわり抜かれて、完璧に仕上げられ、多くの時間と、深い知識を持って映し出された唯一無二の作品ばかりです。

「映画は現実を映し出すものではなく、カメラを通した現実を映し出す」

と本人が語るように、キューブリックは、映画が、どこまでも人工物で、誰もが驚くような次元にするには、並大抵の努力では成し遂げられないと言うことを知っていたのでしょう。

この意味で、キューブリックの映画はどこまでも「キューブリックがカメラを通して見たもの」を表現しているのであって、そのストーリーも、出演者もそのための引き立て役と言えるのかもしれません。

なぜか、何度も見返している「バリーリンドン」の魅力が、このドキュメンタリーを見ることでようやく理解することができました。

ただのリアルを再現することではなく、映像作品を作ることの「コア」がキューブリック作品には散りばめられています。

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