生前退位はできない?その意味と気になる摂政と上皇をわかりやすく解説!

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いつもお読みいただきありがとうございます。

2016年7月、今上天皇が

「憲法に定められた象徴としての務めを十分に果たせる者が天皇の位にあるべきだ」

といった理由から、生前退位を意を表明しました。

しかし、この生前退位

という言葉には実は

いろいろな過去がありました。

これからの問題点も摂政、上皇というキーワードを元に

ご紹介いたします

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もはやタブー!?生前退位は規定外の事態!

1889年(明治22年)に制定された昔の皇室典範と登極令で

皇位継承するのは「天皇の崩御のみ」を前提としていたため

在命中の天皇は退位できないという解釈がされていました。

その理由は、天皇と政府が対立したことのある経験から

天皇が退位することで、政府へ圧力をかけることを防ぐという意図があったそうです。

そしてその後、生前退位をした天皇が出ていないことから

規定はされずにきていたのでした。

今回の今上天皇の生前退位の意向により

この後の皇位継承のありかたを、新たに規定する必要が出てきたようです。

最古の生前退位は大化の改新により当時の皇極天皇が弟の孝徳天皇に譲ったのが

最も古い生前退位とされ

反対に

最も近い生前退位は、江戸時代後期の光格天皇で

今回、今上天皇が生前退位をすると、およそ200年間ぶりの譲渡となります。

ここで2つのキーワードを理解して

今生前退位の動向をより深く見ていくことができます。

そのキーワードは「上皇」と「摂政」です。

摂政と上皇の可能性は?

現状の憲法や皇族典範では、摂政という職を作ることが可能といえるそうです。

摂政とは、天皇が幼い場合などにその天皇の代わりに

その公務などをする役職のこと。

1947年に制定された現在の皇族典範ではしっかりと規定されており

第一候補は、皇太子または皇太孫とされています。

生前退位による「上皇」の位が復活の可能性?

上皇とは、正式には

「太上天皇」

といい、もともと天皇の位だったものが、そのくらいを譲った後の名称です。

これは「院」と呼ばれることもあり、平安鎌倉時代を「院制」と呼ぶのは

この頃、上皇が多くの実権を握るような体制になっていたためです。

先程も言いましたが、最後の上皇となったのが1840年に亡くなられた光格天皇

1817年に第六皇子だった恵仁親王(仁孝天皇)に皇位を譲っています。

koukaku

出典:http://tokitank.com/

しかし、1947年に制定された現在の皇族典範では

その譲位を明示してしていないため

上皇は、皇族典範の規定を変えないかぎり

存在できないとなっているようです。

果たして、どのような議論がなされるのでしょうか?

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摂政の就任か?上皇の復活か?

ここにきて、皇族典範の規定の弱さが明るみに出る

という形になりましたが

これを期に、大きな議論ともなるでしょう。

もし、摂政という形がとられる場合

その第一候補が「皇太子か皇太孫」となるため、

現在では徳仁(なるひと)親王が摂政になることが現実的です。

しかし、徳仁親王はすでに親王という立場上の公務があることから

その場合の対応も必須でしょう。

さらに、もし上皇制度が復活した場合

天皇の座につくのは現、徳仁親王です。

しかし、その場合、実質上皇の顔色を伺いながらの

運営となるため、非常にやりにくくなるのではないか?

という、見方もあるのが現実です。

このような中、今後の皇室の動向から目が離せません。

最後までお読みいただきありがとうございました。

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