ディーン・フジオカ経歴まとめ【誕生~幼少期〜小中学校~高校時代】編

ディーン・フジオカ プロフィール

名前:DEAN FUJIOKA【藤岡靛、藤冈靛、téng gāng diàn】
本名:藤岡竜雄(ふじおかたつお)
ニックネーム:ディーン(広東語でcrazy)、フジタツ、アディーン(阿靛)
生年月日:1980年8月19日
国籍:日本 職業:モデル、俳優、映画監督、ミュージシャン
身長:180cm
血液型:A型
出身地:福島県須賀川市(千葉県鎌ヶ谷市で育つ)
高校:千葉県立船橋高等学校卒
大学:アメリカシアトルのITが専門のコミュニティ・カレッジ卒業(高校名不明)
家族:父、母、妹(藤岡麻美)、弟、妹

ディーン・フジオカ 略歴

2004年 コミュニティカレッジ卒業後アジアの様々な国を巡り、香港でスカウトされ俳優業開始
2005年 映画「八月の物語」映画初主演 台湾ドラマの創始者と言われる柴智屏と出会い契約し台湾デビュー
2006年 拠点を台北へ 台湾TVドラマ「極道学園」「ホントの恋の見つけかた」出演
2007年 台湾で初の映画「夏のしっぽ出演
2008年 上旬、柴智屏制作の台湾ドラマ「笑うハナに恋きたる」出演
2010年 日本統治時代の台湾に関する歴史を題材の長編映画「セデック・バレ」出演
2011年 「夢の向こう側〜ROAD LESS TRAVELED〜」出演 台湾・台北・インドネシアなどのGMT+7〜+9の時間軸の中での活動スタイルを芸能プロダクションアミューズと双方共感し契約(2011年)
2012年 テレビシリーズ「ブラック&ホワイト」の映画版「ハーバー・クライシス〈湾岸危機〉 Black & White Episode 1」出演(日本公開は2012年9月)
2013年 初の映画監督作「I am Ichihashi 〜逮捕されるまで〜」公開
2014年 アメリカTVドラマ「荒野のピンカートン探偵社」でアメリカデビュー
2015年 日本TV フジテレビドラマ「探偵の探偵」NHK朝ドラ「あさが来た」出演
2016年 日本TV TBSドラマ「ダメな私に恋してください」出演

*西暦は正確にはずれている場合があります。参考までにどうぞ

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ディーンフジオカ生誕(0~5歳)1980~1986

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出典:さんツイートより

生まれは福島県須賀川

1980年8月19日須賀川市の生まれ 中国生まれの父親と日本人の母親のもとに生まれます。   生まれた日には新宿西口でバス放火事件があったそう(6人が死亡、14人が重軽傷)

1980年と言えばロックファンのみならず全人類が涙したといっていいほどの大事件 ジョンレノン銃殺事件があった年、その後帰らぬ人に。 

映画ではスターウォーズの第2作目「スターウォーズ 帝国の逆襲」が世界的に大ヒット 日本では初めて「自動車生産台数世界第1位」を記録。   年間ヒットソングは「ダンシング・オールナイト」もんた&ブラザーズ ビートたけしが漫才の中で発言した「赤信号、みんなで渡ればこわくない」が流行語になったりと 戦後の復興から、バブル経済に向けものすごい加速をしていた時期。

ディーンフジオカと同じ年の生まれの有名陣には嵐の大野智、芥川賞作家で、お笑いコンビ「ピース」の又吉直樹、「魅惑の美女」壇蜜などがいます。   そんな時代背景の中 ディーンフジオカさんは3歳くらいまで福島で暮らし その後千葉県に移住します。

幼稚園は千葉県鎌ケ谷市 (*)

(*)妹さんの情報をもとに推測しています 鎌ケ谷さくら幼稚園で初恋をしたと本人が語る中 お相手は年上であったそうです。   残念ながら名前は覚えていないそうです。

福島県、一昔前、こんな子でした。#pokemon #fukushima

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藤岡家は論文をいくつか出し、当時では最先端のIT関連の仕事で国外への出張が多かった父親 ピアノ教室を営み、4人の子供を育てた母親に育てられ   湯船でのカウントは中国語、父が英語を教えてくれたり 父の仕事の関係で外国人のお客さんをアテンドすることや、家に招くこともあったそう。

祖母の家に行ったら中国語の本が並んでいて、話を聞くと中国の山西省に住んでいた頃の話なんかを聞かせてもらったりしていました。[出典]

そんなディーン少年の楽しみは父親がお土産に買ってくる マイケル・ジャクソンやディズニーのビデオ   小さいころから海外の文化が自然に身近にあったという環境で竜雄少年はすくすく育ったそうです。

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ディーンフジオカ 小学校時代(6~12歳)1987~1993

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さんツイートより

鎌ケ谷市立東部小学校 入学(*

(*)妹さんの情報をもとに推測しています 小学、中学時代の長い休みは、ほとんど福島にいて、釣りをしたり、虫を捕ったりと 自然のなかで遊ぶのが好きだったそう。   このころ高校まで続けることになるバスケットボールにも出会っているそうで 小学3年生の時(1990)には大人気漫画「スラムダンク」の連載がスタートしています。

自宅でピアノ教室を開き、いつも海外の音楽を聴いていたお母さん。 家にはピアノのほかドラムセット、エレクトーン、サキソホン、グロッケンなどの楽器がたくさんあり、幼いときから遊び道具にしていたそう。   ドラマ「ダメな私に恋してください」でもピアノの腕前を披露したことのあるディーンさんですが 母親に無理やりピアノを教えられたため嫌いになった時期もあったそうです。

ディーンフジオカ 中学時代(13~15歳)1994~1996

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さんツイートより

鎌ヶ谷市立第二中学校

多感な時期のディーン少年はすでにこのころから海外へのあこがれが強くあったそうです。 日本の高校に行きたくなかったことから(+花粉症がひどい)、父親に相談したところ 「せめて日本の高校までは出ろ」と引き留められ、あと3年日本にとどまることになるのです。 

そんなディーンさんの中学生時代はというと 硬派でモテモテのバスケ部。   中3には彼女できたけど、誠実で大っぴらにもしない、大人なお付き合いをしていたそう。   このころから人とは違うセンスを魅せ 「くるぶしまでまくり上げたジャージ」が異様に格好よかった という同級生の証言もあるほど。 

高校時代(16~18歳)1997~1999

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出典:http://up.gc-img.net

千葉県立船橋高等学校

千葉県ないでは「県立高校御三家」といわれ 2016年千葉県高校偏差値ランキングでは偏差値74(千葉県2位) というエリート高校、千葉県立船橋高等学校に進学。(最寄り総武線 東船橋駅) 

クラスでいちばん大人びていて、人を惹きつける魅力があり 「藤岡が言うなら」とみんなが従うような存在だったそう。   高校1年生のときに原付の免許を取得して 30万円の新車のバイクを購入し周囲から羨望のまなざしを向けられていたといいます。

友人にも気前よく運転させあげていたそう。 高校ではフォークソング部に入り、ポップスやロックを演奏し文化祭でもライブをする。 二つ離れた妹の麻美と一緒にバンドを組んでライブをやることもあったそう。 校内いちのイケメンが、洋楽を演奏をしてメロメロの女子高生も多かったのではないでしょうか? 

17歳の時、本名の藤岡竜雄で第10回ジュノン・スーパーボーイ・コンテスト出場 10563人中6人のファイナリストまで進む。   これは妹の麻美が勝手に応募したもので 審査ではディープ・パープル「バーン」をギターで演奏したそう。

  このころのディーンさんは 茶髪を注意されてもそのままにするなど 「言われたことを自分で考え、納得できなければ従わない男」 だったと当時の知り合いは回想しています。  

ITの理由

当時はまだ一般的とは言えなかったIT そんな中お父さんの影響か自然と「これからはITの時代」という言葉通り アメリカでITを学び起業しようと考えていたそう。さらには

DEAN:アートやソーシャルカルチャーにはすごく興味があって。 ITが先なのか、新しいアートの作り方や見せ方が先なのかわからないんですけど、例えば、1970年代にはフォークミュージックが若者のすがる表現手段だったとしたら、今のサンプラーを使ったハウスやヒップホップ、エレクトロニックがあの時代のフォークミュージックみたいなものだと思うんですよ。 家で手軽に使える楽器として、ギターの代わりにラップトップがあるっていう。時代によって使う道具と広がるジャンルが完全にリンクしている。

―表現においてはハードとソフトの関係が同時に進行していますものね。

DEAN:あと僕が大学にいた当時、録音や編集にコンピューターを使う人はいたけど、楽器として使う人はまだそんなにいなかったと思うんですよ。 でもシアトルって雨ばっかり降ってるから意外とオタクの街で(笑)、家やガレージでラップトップの音楽バトルとかやってるんですよ。2000年頃の段階から。そのラップトップバトルに、ラッパーやダンサーがカブせていくパーティーシーンがあって、それにものすごく衝撃を受けたんですね。

というように、IT以外にもたくさんの興味を引くものが「アメリカ」にあったということなのでしょう。

やっぱり憧れの「アメリカ」

僕がまだ幼かった1980年代って、アメリカがすごい輝いてた時代だと思うんですよ。当時の子どもにとっては「外国=アメリカ」だった。いま考えると、おバカなんですけどね(笑)。 でもあの時代、日本に育った子どもなら、素朴にアメリカがスーパーヒーローに見えたと思うんです。だから、とりあえず一度行ってみようと思って

さらにかつてはイチローもいた街、シアトルを選んだきっかけには 当時のディーンさんのヒーロー ニルヴァーナやジミ・ヘンドリックスの出身地でもあったことが挙げられるでしょう。   そしていよいよディーンさんは、アメリカへと飛び立つのでした。  

続編【高校卒業後〜アメリカ〜香港時代】編はこちらから

音楽との出会い、俳優としてのキャリアをスタートした場所 そんな時代のディーンさんの足跡をまとめました →ディーン・フジオカ経歴まとめ【高校卒業後〜アメリカ〜香港時代】編  

出典一覧

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『ディーン・フジオカ経歴まとめ【誕生~幼少期〜小中学校~高校時代】編』へのコメント

  1. 名前:かんな 投稿日:2016/11/15(火) 00:52:22 ID:cb8ec783c

    ディーンフジオカさんの事が大好きです( ∀)
    ディーンフジオカさんが出るTVは必ず録画して何回も何回も繰り返しみています。

    LIVE♪︎にも行きたいけど、遠いいし応募しても当選しないので会えません!

    私は、熊本県し住んでいます。地震などもあり大変な思いをたくさんしました。
    ぜひ良かったら、熊本県に遊びに来てください!

    • 名前:deanfan 投稿日:2016/11/15(火) 12:13:08 ID:a219608a2

      コメントありがとうございます。

      熊本地震は大変でしたでしょう。

      私は埼玉県なので、今のところ何もありませんが、福島原発事故のときなどは、色々と覚悟をしました。

      ディーンさんの生まれ故郷も福島で、熊本も地震があり、大変かとは思いますが、
      ディーンさんのような方がいてくださると心強いですね。

      ディーンさんのライブがもっと全国規模でできるように、ディーンさんのことをもっと広めていきたいです!

      その時は、ディーンさんについて、熊本まで遊びに行きますね〜

  2. 名前:関口久美 投稿日:2017/08/24(木) 16:31:39 ID:4dcf9b0c5

    Deanちゃんが大好きです。東京に住んでます。ライブは当選して行って幸せな時間を過ごしました。何故かイベントは一度も当選せず…。でも映画、ドラマ必ずみています。それだけでHappyになります。来年2月のライブは沢山の場所が決まってます。今までよりハードになりますが幸せな人達がそれだけ増えますから。多才でステキで心もキレイなDeanちゃんをこれからも応援し続けます。ふぁむっこ!

  3. 名前:saori 投稿日:2017/08/25(金) 09:40:14 ID:e9b14304d

    ディーンフジオカは、イケメンで大好きです!ディーンフジオカのことについて、よく知ることができました。双子の子供もいて、きっと優しいお父さんなんだろうなと思いました。